こっそり語る横浜市長リコール12:市民とギスギス2

お次は青木俊氏。ジャーナリストなのか作家なのか寡聞にして知らないが横浜市民だそう。清水潔氏とのツイッターでのじゃれ合いが面白い。


1. どこで署名できるのかわからないと。「案内が不十分」とやや迂闊なひとことに……。


2. 「無知か安易か妨害」と激しくなじる廣越氏。「住民投票のホムペより充実している」とも。確かにボリュームはあるけど、あの超絶的なわかりにくさは……。


3. 青木氏呆れツイート。


4. 「わからなければ電話」「想像力もないかわいそうな人」と廣越氏。


5. 「わからない、不十分と言っただけ」と青木氏。


6. 「相手の批判だけする事に悪意しか感じない」と廣越氏。


7. 「どっちらけ」と青木氏。


8. 運動に参加している方と廣越氏の追撃。


9. 運動に参加している方から、状況を見かねてか友好的なツイート。


運動している人達は「不十分」にカチンと来たんだろうなあ、きっと。でも悪意はなかったと思うよ。知らないものに悪意など持ちようがない。

無論「悪意がないから問題ない」とは言わない。前記事で紹介したツイートにも言えることだが、「不十分」という言葉を発してしまうのは「あなた呼び掛ける人、わたし署名する人」と役回りを決めてかかっているように見えるし、そこを問題視するのはわかる。しかし、あたかも青木氏がリコール運動の邪魔をしようとしているかのごとくなじるのは言いがかりにしか見えなかった。


廣越氏しかり事務局長殿しかり、あちこちから「妨害」されたり難癖付けられたりして苛々をつのらせていたのだろうか、全方位噛みつきモードになってしまっているように私には見えた。

リコール運動と選挙運動は違う

リコール運動を主導する人とそうでない人の境界というのは実にデリケートな問題だとは思う。

選挙運動なら「清き一票をお願いします」だし、当選したら「ありがとうございます」で、落選したら「私が至らなくてごめんなさい」だ。

だがリコール運動は違う。市民が同じ高さに立って連帯して行うべきもので、「頼む」「頼まれる」という関係性ではない。そこをはき違えてしまうと「ちゃんとやれよ」という論調になる。

運動に参加していた人達は、それが苛立たしく、また腹立たしかったのではないかと思う。そこはわかる。そこはわかるのだが……。

「わかりにくさ」はぼやいていい

運動員に噛みつかれた両名に共通しているのは「わかりにくさ」に言及しているということ。その点については私も同感で、見付けにくいしわかりにくいと思う。そしてそれをぼやくこと自体は何の問題もないはずだ。「ちゃんとやれよ」と非難するのが筋違いなだけである。(前記事の方の「わかりやすい呼びかけを」にも非難の響きがわずかにあり、その点が迂闊ではあったと思う。)

もちろん運動員達がそうしたぼやきの声を掬い上げるも黙殺するも自由である。もっとも廣越氏をはじめリコール運動を主導している人達は、どうやら公式サイトが見付けにくいともわかりにくいとも感じていないようだった。