米山隆一氏のジェンダー問題にまつわるツイートの波紋・続

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石川優実参入

石井優実氏は #KuToo 運動を牽引した人物。

今回の騒動における立ち位置はこう(たぶん……)。

・米山はジェンダー問題対策を軽視(私は誤読だと思う)

・室井は仁藤のツイートを誤読した(これは同感)

この人のツイートは追い切れていないが、当初は仲裁のようなスタンスだったようだ。だが石川-室井間もこじれるばかり。最後は「あなたも私を侮辱(差別)した」という室井氏と「どの発言を指しているいるのかわからない」という石川氏の齟齬が埋まらず決裂。

私の目には、石川氏はかなり丁寧な対話を心掛けているように見えていただけに残念である。

北原みのりは軌道修正か

室井-北原間では、ちょっと室井氏の絡み方の意図が伝わり辛く、北原氏が距離を取る形で、対話らしい対話のないまま物別れとなっている。

要するにデマ混じりのゴシップに乗っかって米山氏を誹謗した北原氏に憤り、逆に室井氏もわざとデマに乗っかって北原氏を誹謗し「お前も同じことをしたんだぞ反省しろ」と、そういう主旨のようだが話をややこしくしただけのような気がする。


その北原氏、11月16日付でこんなコラムを書いている。
dot.asahi.com

米山発言については、当初「無知」「最低の見本」とかなりの剣幕だったのが、次のようにトーンダウンしている。

ご本人は「自分の考えではない」と一般論で弁解するが、政治家の言葉としては残念だ。

米山発言がどう「残念」なのかを意図的にぼかして書いているように私には見える。文脈上「余裕のある人の趣味」という言葉が米山氏自身の見解ではないという解釈が成立することに後で気付いて軌道修正したのではなかろうか。とんがっているように見えて冷静だ。ちょっとずるい気もするけれど。

その上であえて北原氏を擁護するとしたら、米山氏の言葉のチョイスの不用意さはジェンダー問題への関心の薄さゆえではないかと勘ぐるのは必ずしも不自然ではないということ。そういう意味で「残念」というのならわかる。

個人的には、米山氏はジェンダー問題への関心は低くはないが「すごく高い」わけでもないと思っている。

いずれにしても、北原氏は今後米山発言をやり玉に上げることはあまりないのではないかと思う。米山発言が「ジェンダー問題対策敵視」と断定するのは論理的に不可能であることに、恐らく彼女は気付いてしまったから。

他の意見

このブログを読んでくれた人の何人かが、見解を寄せてくれた。

それらは、発端の米山氏のツイートに関しては仁藤氏・北原氏が誤読しているという点では見解の一致を見ていた。米山氏の文はそれだけ明快であったということだ。

一方、仁藤氏の「妻も夫の性欲処理機ではない」については私と異なる見解が複数寄せられた。なるほど一連の仁藤氏のツイートは解釈に幅を持たせてしまう書きようではあったかも知れない。更には「仁藤氏には性産業従事者への差別意識があるのでは」との指摘もあったが、これはちょっと私にはわからないので言及せずにおく。

北原みのり・続(12.1追記)

「現代ビジネス」掲載の論考への北原氏のコメント。

これはダメだ。

米山氏の発端のツイートもこの記事の内容も、有権者の関心度を考慮しての話の順序の方法論を述べているのに過ぎないのを「順位をつけることこそミソジニー」と、重要性の序列の話と混同してしまっている。

ジェンダー平等は、暮らしにも命にもかかわる重要なテーマに決まってる。更に言えば憲法だって命や人権にかかわるきわめて重要なテーマだ。だがいずれも広く、深く、そして長期的に取り組むべきテーマだ。

コロナ対策もジェンダー問題も憲法9条も重要なテーマであることに変わりはない。しかし選挙演説で、まずどれを聞きたいですかという話。憲法の話を最後にしたからといって、憲法の問題を軽視していることにはならない。

大雑把にいえば、短期的なもの、ミクロなものを先に、長期的なもの、マクロなものを後に取り上げるのが演説の基本なんじゃないかしら。それを軽重と混同するから話が嚙み合わなくなる。

この人もっと話のわかる人だと思ってたんだがなあ。

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